住宅のみえないところを考える番外編 家づくりの想い①


住宅のみえないところを考える

 

【番外編 家づくりの想い①】

 

ご好評を頂き、誠にありがとうございます。

今回はなぜ家づくりをしているのか、またなぜ工務店をしているのかを話したいと思います。

まずは私の経歴をお話しいたします。

 

22歳に東京経済大学を4年の春に退学(すいません勉強できませんでした。。。)

父親が北杜市白州町でログハウスのセルフビルドをして、趣味で会社を立ち上げるとのことに

甘ちゃんな私は親のすねをかじりました。(恥ずかしい事ですが書いちゃいます。)

 

親子関係によくあることですが、今でも反発です!!!

 

3年間一緒にログハウス建築をしていましたが、嫌になり、

長野県茅野市のログハウスの会社に出向しました。

 

そこで、私に大工工事を叩き込んでくれた親方に出会います。

初めて会った時に、階段を現場で墨出しをして、現場で刻みをして2日間で階段を開通させました。

その技術力に惚れ、弟子入りを申し込む。半年後、弟子入り。

 

その年の秋から親方には、仕事の厳しさ、人の温かさ、十人十色の考え方を教えてもらいました。

山本五十六さんの言葉にある『やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、、、』

http://hajiwoshinonde.com/post-510/

まさしく、この格言のままに教えられました。

※親方はこの言葉を知らなかったと8年後に知りました。

 

1年半後には、階段が掛けられ、和室の畳から、床材の張替えが一人でできるようになります。

必ず最初は親方がお手本を見せてくれて、次に自分が行う。

実戦で教育を受けました。

 

1年半後に北杜市の工務店の社長様よりスカウトを受け、現場監督になりました。

そこで出会ったのが、構造計算のプロフェッショナルな先生です。

 

構造瑕疵に詳しく、防水、基礎、構造、法規を徹底的に教え込まれました。

今では、莫大な資料がある仕様が頭の中にインプットされています。

 

先生には、指摘を受けて、現場で何回もやり直したかが覚えていませんが、

実戦で、知識は身につけました。

 

※今回の武川町現場は先生に構造計算を依頼し、耐震等級2相当の仕様になっております。

 

6年後家族の時間を犠牲にしたので、退職しました。

失業し、山梨県のポリテクセンターへ入所。

建築を半年間勉強しなおし、ログテックへ戻りました。

 

戻ってから、建築の概念を覆した

無添加住宅の創始者秋田憲司さんに会います。

 

目から鱗です。

 

えーーーーってことが多すぎる。

法隆寺はなんで今もあるの?等々。

 

日本の住宅耐用年数26年。なぜか。

無添加住宅は江戸時代のつくりをなぜ目指すか等々。

聞けば聞くほど、作りたくなったので、モデルハウスを作り、無添加住宅の代理店になりました。

 

つづく。。。。。

 

 

 

【シリーズ】住宅の見えないところを考える

当社の「家づくり」がわかる

『家づくり』を知ってもらいたいためにページを作成致しました。